No,002 佐藤ぶん太、さんインタビュー記事全文

2016/04/19

笛吹き見聞録 第二回
津軽の笛吹き
佐藤 ぶん太、さん
インタビュー・文 水落立平

佐藤 ぶん太、プロフィール
高校3年の時、津軽の囃子大会に於ける最高峰コンテスト「登山囃子本大会」を史上2番目の若さで制し、その後最上位クラスで6度の優勝を果たす。
スイングジャーナル誌ゴールド・ディスクを4回受賞のJAZZピアニスト木住野佳子をはじめ様々なジャンルのアーティストと共演。
2011年には「ねぷた囃子でギネスに挑戦」を発案・主催し、実行委員長として3,742名での笛合奏ギネス世界記録を達成する。
また2013年より津軽笛を地元の囃子方から学び、演奏を鑑賞する「津軽笛博覧会」をプロデュース。
近年は津軽笛の魅力を広く発信する活動をまた2013年 7月、UNESCO傘下の IOV-JAPAN からの派遣としてフランスで開催の国際民俗芸術祭に日本代表として出演、公演用の曲も作曲。
今年は全国での公演・津軽笛ワークショップに加え、ニューヨーク・メキシコでの公演も控え活動の幅を広げる。
郷土芸能の第一線で伝承活動を行い、また新たな形も追求し「伝承と創造 」 を両立する日本国内でも稀有な笛奏者である。

立平(以下、立と略):まず始めに、笛を始めたきっかけを教えてください。

佐藤氏(以下、ぶんと略):生まれた時からお祭りが大好きで、太鼓をやったり、手摺鉦をやったりしていました。
小学3年生の時、父が自分たちの町内のねぷたを作っていたことをきっかけに、笛も吹きたくなって始めました。

立:若くして地元の囃子大会で優勝されていますよね。

ぶん:師匠がいい人でしたね。
師匠に習うまでは、笛を覚えて楽しめればいい感覚だったのに、いきなりコンテスト向けに育てると言われました。
最初は全然、やる気はなかったのですが、大会に出て知らないおじさんに褒められたりすると、嬉しくなりますよね。
中学1年生の時に、大人の部に出場して3位をとったんです。メダルをもらって、賞状をもらって気分がよくなりまして(笑)
次の大会も出場しましたが、結果がその都度変わるんですよね。5位だったり、7位だったり、全然入らなかったり。
そういうのがだんだん面白くなってきて、どうせやるんだったら賞をとりたいという気持ちに自然になっていきました。
優勝したい、1位になりたい、野心ですよね。高校生だったし、「どうだー!」ってやりたい(笑)
弘前は笛吹き人口密度が、おそらく日本一の地域。
6人に1人が笛吹きという地域で、70年続く最高峰コンテスト「登山囃子本大会」で1位になるということは、ものすごい勲章になるんです。
高校2年の時にその大会で失敗しましてね。他の大会は全部1位だったのに一番権威ある大会で賞をとり損ねたんです。
その悔しさをバネにして、翌年の優勝につながったのかもしれません。

立:津軽の笛の頂点を極められたぶん太さんですが、現在では唄用の笛を使用した現代曲も演奏されていらっしゃいます。
郷土芸能と現代曲、両方をどういったスタンスで演奏されているかをお聞かせください。

ぶん:郷土芸能を広げるために現代曲を演奏しています。
郷土芸能の笛を演奏している人が、現代音楽をやることはなかなか異端なことですよね。
お祭りの笛には、お祭りをやっている人たちが集まる。
篠笛のコンサートだとお祭りの笛をやっている人は集まりにくい。
篠笛のコンサートに来るような音楽が好きな人たちに「郷土芸能の笛からもこういう表現もできるよ」という演奏をしていく。
祭り囃子にもすごい芸術性があると思うんです。
でも祭囃子ってジャンルの中にいると、なかなかそういう目で見てもらえないんですよね、特に地元では。
それをなんとか打破するために、コンサートというステージでは自分たちの笛をいくらか変化させて、そのエッセンスを入れ込んで勝負します。

立:郷土芸能に興味を持ってもらうために、現代曲にそのエッセンスを入れて演奏するということなんですね。

ぶん:結局は郷土芸能を盛り上げるための一つの方法として、ですね。

立:ぶん太さんは後進の指導にも力を入れられていますね。
昨年の「インターネット篠笛コンテスト」では、ぶん太さんの生徒である横須賀梨樹さんが2位を受賞されました。
若干15歳の若さにしてすごい表現力で、いったいどんな指導をされているんだろうと、驚きました。
ぶん太さんの指導に対するポリシーなどありましたら、お聞かせください。

ぶん:特別な指導はしていません。

立:ヒミツですか?

ぶん:いやいや(笑)
極力、譜面で教えないようにはしています。
譜面で教えてしまうと、頭の中にあるものが譜面になってしまう事が多いので、お客さんが受け取るイメージも譜面になってしまうような気がするんです。
例えば、本を朗読をする時に、文章を読んで覚えて、その文章を思い出しながら話をすると、多分、感情は入らない気がします。
そのもう一つ先には、その言葉からくる情景を思い浮かべながら朗読するとその世界が伝わるような気がするんです。
こういう景色を見せたいのに、今の音で表現できているのか?
結局、基礎的な部分をもう少し身につけないと、それはお客さんに届かないんじゃないか?という話はします。
あとは生徒さんの感性がいいのかな。指導者のせいじゃないかもしんないですね(笑)
演奏するのに大切なことは「基礎力」「表現力」「本番力」「感動力」だと思うんです。
感動できない人は人を感動させることはできないと思うし、いろんな経験をすることで世界が変わってきます。
あとは他の方の指導を見たことがないので、よくわからないですね。今度、立平さん見に来てください(笑)

立:2011年には3742人の笛合同合奏でギネス世界記録を樹立されました。
そういった話題性をもって、いわゆる「地域おこし」にも貢献されていらっしゃる印象です。
その時の苦労話などありましたら、お聞かせください。

ぶん:ただ産業を発展させようとしても限界がありますね。
そこに創造力であったり、文化的な部分でみんな想像を掻き立てられながら物事をやっていくような環境を作ることで、必ず地域力が上がると思うんですよ。
そんな中で、私ができることは「笛しかなかった」という訳です。
弘前城の築城400年の年がありまして、3年くらいかけて準備しました。
ギネスにチャレンジすることで、笛吹きも増えるだろうし、地域力も絶対に上がるだろうなと思いました。
笛ってとっつきにくいところもあると思うんですけど、吹けたら絶対面白いはずなんですよね。
お祭りに参加する人が減ってきている中で、何かテンションが上がる方法で、と思いついたのがギネスに挑戦でした。安直ですよね(笑)

立:いやいや、なかなかできることではありません。

ぶん:やるって言った以上、やらなけらばいけなくなっちゃって。。。正直泣きたかったなぁ(笑)
4000人くらいに笛を指導して、なんかこう町全体が少しずつ変わってくる感じがありました。
弘前城築城400年のイベントは他にもいっぱいあったんですけど、市役所の担当者もギネスチャレンジがイベントのメインだったと言ってくださいました。
市が直接担当していないイベントにもかかわらずです(笑)

立:現在、企画されている「津軽笛博覧会」について、少しお話しを伺えますか?

ぶん:いろんな地域のお囃子をやってみたいという、笛好きな人たちの需要って絶対にあると思ったんです。
そういった人たちが集まりながら、弘前の名所である「藤田記念庭園」に鳴り響く笛の音は、まず美しいだろうなと。
そこで、ネイティブの人から教わるお囃子っていうのは非常に価値があるんじゃないかと。
その庭園で夜にライトアップしてコンサートをやって、その郷土芸能を見てもらう。
地元の人たちにとっては祭り囃子でしかなかったものが、すごい芸術的に見えてくるんですよ。
それを見た時に、地元にもっている財産に気づけるような気がしたんです。
ギネスに挑戦することで、みんながやれるという「広さ」は表現できたけど、「高さ」は見せれてなかったので。
全国からも参加してくれる人が増えてくると、津軽のお囃子が全国にも認知されるようになりました。
後継者不足とか、同じような悩みを抱えている方たちが全国にもいることを知りました。
ギネスにチャレンジした際のノウハウとか、70年続けてきたコンテストとか、こういったことを全国でシェアできたら、
後継者不足とか、そういうことに対して何かメスを入れられるんじゃないかと思い始めたんです。
地域の郷土芸能に何かしらのいい効果が出てくるんじゃないかと。
そうなったら日本の郷土芸能の未来が変わってくるかな、と思います。ちょっと大きい話ですね(笑)

立:今年は「横笛コンテスト」も企画されているそうですね。
果敢にチャレンジされてらっしゃいますが、その想いがありましたらお聞かせください。

ぶん:独自にアンケートをとったんですが、全体の半分以上の方が各地のお祭りの笛のワークショップがあったら参加したいという結果でした。
皆さん、お祭りの笛に興味があるんです。
なので郷土芸能を課題曲にして、自由曲もやって、というのを一つのモデルケースとして全国に発信できればと思っています。
全国でやったらいいじゃん!って思うんですよ。F1みたいに全国でやるんです。盛り上がるよね(笑)
そうすると、次のスタープレイヤーの原石がそこで発掘できる。若手で、華のあるプレイヤーがどんどんでてくる。
全国で後継者育成に頑張っている人たちが手を取り合っていけたら、素晴らしい環境ができると思います。

立:最後になりますが、今年はニューヨークやメキシコツアーも決まっていますね。
「津軽から、世界へ」意気込みをお聞かせください。

ぶん:あんま考えてないんだけどな(笑)
「津軽から、世界へ」って思ってたんですが、この半年くらいで心境の変化が大きくて。
「津軽から、世界へ」どころじゃない気がしてきてね。
後継者不足とか、同じような悩みをもっている人たちがたくさんいることがわかって、
「津軽から」というよりも、全国のお囃子をやっている人たちに何かしらの可能性を感じてもらいたいんです。
こんな僻地でもやれるなら、他の地域でも「もっといけるんじゃないか」いう気持ちになってくれたら、
全国的に恐ろしいほどの「うねり」が、オリンピックまでにできるんじゃないかなぁと。
津軽だけでやるのは難しいよね。同じ気持ちの人たちが集まって全国規模で動かないと。
それが、篠笛協会ですよね(笑)

立:はい、頑張りましょう!

ぶん:なので、海外ツアーは一つの事例を作ってくるくらいの気持ちで頑張ってきます!
全国の人たちが、後に続けるような道が作れたらいいな。

立:ありがとうございました!

■インタビューを終えて
私は、音楽大学までずっと西洋音楽を学んできました。
卒業後に青森で「ねぶた」を見て衝撃を受け、その後の人生が大きく転換しました。
そんなきっかけをもらった津軽の地で生まれ育ったぶん太さんは、私と同年代。
イベントの企画やコンテストなど、笛への想いも通ずるところが多いです。
ぶん太さんの演奏は、繊細な表現からダイナミックな表現まで幅が広く、そして何より津軽の情景を思い出させます。
バイタリティー溢れる、ぶん太さん。
その原動力は「郷土愛」でした。
共に走りましょう!